「少年画報」のような昭和の絶版漫画雑誌は、今ではとても貴重な雑誌です。
現在持っている方も少なく、高値で取引される傾向があります。
当店では1冊1冊、現在の取引相場を基に査定させていただきます。
「少年画報」とは、現在は発行停止になっている週刊少年漫画雑誌です。
昭和23年に「冒険活劇文庫」という名で創刊され、その後改題され現タイトルとなりました。
あの手塚治虫や藤子不二雄Aをはじめとしたトキワ荘出身の有名漫画家が多数連載をしており、昭和当時の子ども達に大変好評でした。
しかし、アニメ化をした人気作が連載終了となった後は発行部数が伸び悩んだことから、1971年6月に惜しまれつつも「少年キング」に合併という形での休刊となっています。
廃刊となった今現在でも、入手を求める人が絶えない魅力のある雑誌です。
書名 | 少年画報 |
---|---|
書名カナ | ショウネンガホウ |
著者名 | – |
著者名カナ | – |
ジャンル | 漫画雑誌 |
出版社 | 少年画報社 |
ページ数 | – |
サイズ |
少年画報は、昭和時代の漫画雑誌の中では発行部数上位になるほど有名だった雑誌です。
まだ少年漫画専門雑誌というものが存在していなかった時代に「冒険活劇文庫」を創刊しており、当時の少年達の心を釘付けにしました
更に、初期に連載されていた永松健夫の「黄金バット」の漫画版のインパクトも後押しとなり、大ブレークをしました。
その後、他の少年漫画雑誌が増え続けると発行部数は失速しますが、1965年から手塚治虫の「マグマ大使」、藤子不二雄(コンビ解消後は藤子不二雄A名義)の「怪物くん」といった名作が連載開始されたことで再度注目を集めます。
これらの作品は1966年から掲載された森田拳次の「ロボタン」と共にテレビアニメ化され、大きなブームを起こしました。
少年画報はこれをきっかけに、テレビとのタイアップをメインにするように方向転換をします。
しかし、アニメ化をした三作品が連載終了した後は売り上げが伸びず、1969年からは隔週発行となり、1971年6月には「少年キング」へと合併され休刊扱いとなってしまいます。
終盤の休刊までの流れは残念ではありますが、少年漫画の一つの歴史を作った雑誌だと言えるでしょう。
今なお入手したいと思う方がいるのも納得できるのではないでしょうか。
(K.A様・女性・24歳)
父の物置にあったダンボールの中から少年画報とか古い漫画雑誌と付録みたいな物が出てきたので、最近テレビで昔のものが売れたりするような事をやっていたのでググって見つけたばれろん堂さんに査定依頼しました。
テレビは演出だと思ってたけど本当に売れるんですね!
出張買取に来てくれた男性も女性もみなさん親切でした。
(J.H様・男性・59歳)
普段は使用していない物置を整理している時に、少年画報の入ったダンボールを見つけました。
子どもの頃の思い出として大事に取っておきたい気持ちもあったのですが、もう読む機会も無いでしょうし欲しい人の手元に渡れば良いと思い売りに出すことを決意。
埃を被っていた状態だったのでお金にならなくても引き取って貰えればいい程度に思っていましたが、査定をお願いしたところ予想よりも高額だったので驚きました。
スタッフの方の対応も丁寧でしたし、とても満足のできる取り引きができたので感謝をしています。
また引き取っていただけそうなものが見つかった際は、是非お願いしたいですね。
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