「模型とラジオ」のような絶版雑誌は、なかなか手にはいにくい貴重な雑誌です。
現在は持っている方も少なく、高値で取引される傾向があります。
当店では1冊1冊、現在の取引価格を基に査定させていただきます。
「模型とラジオ」は、1955年から1984年まで発行されていた子供向けの工学科学雑誌です。株式会社科学教材社が発行しており、昭和期の子供たちに電子工学や模型工作を通して科学への関心を育んだ雑誌です。
出版社である科学教材社は模型界の先駆をなし、1928年9月より、『子供の科学』誌との共同主催で、『日本の青少年の発明、工夫等の科学、技術啓蒙のため』として、日本橋三越で「模型工作展覧会」を初めて開催、以後、隔年開催を続けました。
誠文堂新光社と科学教材社は、小川誠一郎と小川良雄の兄弟が各々経営に当り、『子供の科学』の他に『初歩のラジオ』など、誠文堂新光社の出版物所載の製作記事と連動して、部品やキットの通販と、以前は店頭販売を手掛けていました。
科学教材社は戦後初のベストセラーとして知られる1945年の『日米会話手帳』の発行元でもあります。この『日米会話手帳』は、もともと誠文堂新光社社長の小川菊松が企画したものでしたが、菊松の長男で同社副社長の小川誠一郎が、科学書中心の出版社である同社から英会話の本を出版することに難色を示したため、妥協案として、科学教材社の名義で発行することにしたという裏話が伝わっています。
「模型とラジオ」を発行してから良質なラジオ、テレビキットを付録として付けて、青少年たちへの科学技術の啓蒙を進めてきました。ラジオ小僧と呼ばれる世代まで存在し、この会社が社会に与えた影響は決して小さいものではなく、日本の科学技術の発展に少なからぬ貢献をしていることは確かな事実でもあります。
1952年11月科学教材社友の会会報として『The Model CRFTMAN』創刊します。その後『模型とラジオ工作』に改題し一般の書店で販売することになり、さらに『模型とラジオ』に改題されました。
当時の先端の科学技術を紹介する記事が中心であり、1950年代から1960年代にかけて真空管を使用した無線機関係の記事が多くなりました。1970年代になると真空管に代わって半導体素子であるトランジスタが普及してくると真空管の記事は急速に減り、当時の世相を反映していることが読み取れます。
さらに時代が進み、1980年代に入ってからは、1960年代や1970年代のような高度な技術を求められる製作記事はまったく見かけなくなり、プラモデルの改造など、比較的お手軽な作業の記事が増えていきます。また、マイコン関係の記事も掲載されていました。
1950年代から1980年代にかけて鉄道模型の記事が一貫して掲載され、他にもトランシーバ、ラジコンなど、当時の科学少年達の心をくすぐる製作記事が満載でした。同時期の他雑誌が科学や技術や新製品の解説に重点を置いていたのに対して、本誌は製作に重点を置いた解説で読者に自らの手でつくる喜びを伝える構成をしていました。1972年には科学教材社から『Nケージ』という雑誌も刊行され、特急形電車、気動車はまだ発売されていなかった時代に151系特急車両、キハ82形特急気動車、951系新幹線試験車両、153系急行形電車の製作法が紹介され、人気となりました。
書名 | 模型とラジオ |
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書名カナ | モケイトラジオ |
著者名 | − |
著者名カナ | − |
ジャンル | 科学雑誌 |
出版社 | 科学教材社 |
ページ数 | − |
サイズ | 26cm |
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