昭和の車は現代でも好んで乗られる方もいらっしゃるように、独自の良さや特徴があります。
今回はそのような昭和の車と、昭和の車のカタログについてご紹介します。
日本でマイカーを持つ人口が増えたのは1960年の中頃からで、日本国産の大衆向けに作られた車が次々に誕生します。
1980、90年代になるにつれてスポーツカーなど車の種類が多様化し、多くのメーカーからさまざまなモデルが販売されました。
そのため、昭和の時代には優れているデザインのモデルや現代の車の原型となったモデルがたくさん誕生しています。
ここでは、昭和時代の3車種をご紹介します。
1つ目は、トヨタの4代目クラウンです。
トヨタは、車が多くの方の手に渡る前から高級車として開発や販売を行っており、令和になった現在でも一貫したコンセプトが受け継がれています。
1971年に発売された4代目のクラウンはこれまでのクラウンとは大きく異なるデザインのフォルムをしていました。
メッキ加飾だったこれまでのバンパーをボディと同色にしました。
そのほかにも、4代目クラウンの個性を主張する工夫が多く凝らされていました。
この車の特徴は、現在の車では当たり前となっている電子制御燃料噴射装置、電動リクライニングシート、アイドリングストップ機能など、当時の最先端技術を存分に使っているところです。
2つ目は、日産のチェリークーペです。
ヨーロッパのコンパクトカーはFF化に伴って広い室内があることに重点が置かれてきました。
そこで日産は、日本でFF車が一般的になる前の1970年にFF車であるチェリーを発売します。
チェリーはFF車の長所である小さなボディでも広い室内空間を実現しました。
チェリーの中でもクーペは左右後方の視界を無視したリアサイドの造形が斬新で、ユニークなデザインとメカニズムを採用しているため、当時人気がありました。
3つ目は、マツダのコスモスポーツです。
小型軽量かつ高性能であるロータリーエンジンが1957年に開発され、NUSという会社が特許を持っていました。
マツダは1961年にNUSと技術提携を行い、独自にロータリーエンジンの開発を行います。
そして、1967年に世界初の量産ロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツが誕生しました。
このコスモスポーツで成功を収めたマツダは、大衆車であるファミリアやルーチェロータリークーペにロータリーエンジンを搭載し、ロータリーエンジンのラインナップを増やしていきました。
コスモスポーツは当時の価格が150万円前後で、1960年代の大卒初任給が30000円以下だったため、夢の高級車だったはずです。
しかし、購入者が月間に30台前後の販売記録があり、昭和時代の車ブームを表す指標になっています。
マツダクラフトのカタログは昭和47年に販売されています。
マツダのクラフトは小型のトラックで、エンジンは1トン積みと1.5トン積みの2種類でした。
初めに外から見た姿の写真があり、従来のDシリーズとあまり変化がないことが伺えます。
次に、運転席のコクピットやメーターの姿が映し出されますが、ラジオ、シガーライター、ヒーターなどが昭和47年になると標準装備になっていたことがわかります。
トラックなので積荷部分を中心とした写真のページも設けられています。
また、マツダのクラフトシリーズが見られる紹介ページもあります。
昭和30年生まれの方は令和4年で67歳になる年であり、昭和30年代の車を見たことのある方は多くないと思います。
ここでは、今はほとんど見られなくなった初代カローラをご紹介します。
1100はプラス100ccの余裕のキャッチフレーズで人気を集めて、トヨタの代表車種として昭和30年代に輝きました。
カローラという車種はモデルチェンジを繰り返しながらも、現在まで生産が続いているビックヒットした車種の1つです。
トヨタ・カローラ1100は1100ccの強力なエンジンを搭載した5人乗りのハイコンパクトカーです。
クラウン、コロナ、パプリカを生んだトヨタの技術が集結されています。
カローラとは、花の中の最も美しい部分、花びらの集合体、そして花の冠という意味を持ちます。
現在のカーデザインの先端をいき、独創的、見飽きないなどの高評価を得ていました。
また、このカーデザインは日本人のデザイナーによって手がけられています。
カローラは快適な運転と乗り心地を考えた車であり、これまでに発売された車の経験を活かして作られています。
カタログでは、写真を用いてカローラの利便性や快適さに長けた部分を紹介しています。
今回は昭和時代に輝いた車、そしてその車のカタログをご紹介しました。
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